Black Musicを中心にEliが聴いた素敵なものを好き勝手に紹介するブログ。
HIPHOP、SOUL、Funk、Jazz、Blues、Rock、Reggae等。
1 2
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
オハイオ・プレイヤーズ (Ohio Players) は、アメリカ合衆国のファンクバンド。オハイオファンクの代表的なバンド。
The Ohio Players - Fire
カッコイー!
The Ohio Players - Fire
カッコイー!
PR
ザップ (Zapp) は、ロジャー・トラウトマンが中心となり、レスター、ラリー、テリーらトラウトマン兄弟を中心として1978年に結成されたアメリカ合衆国のファンクバンドである。トラウトマン兄弟はオハイオ州ハミルトン出身。デイトンでバンド活動を続けていた頃、幼なじみであったブーツィー・コリンズの紹介でジョージ・クリントンに見いだされる。Pファンクの前座として実績を積んだ後、1980年代に若手の有望バンドとして注目を浴びるようになる。特にトーク・ボックスを自由自在に操るロジャーのヴォーカルは独特のもので、現在に至るまで後進に多大な影響を与え続けている。
1980年代を通してザップはコンスタントにアルバムを発表し、一時はジェームス・ブラウンやPファンクの後継者はプリンスとロジャーであるとさえ目された。さらに1990年にはバンドで稼いだ資金をもとに建設会社を創業する。しかしこれがケチの付き始めであった。建設会社は多額の負債を抱えて倒産し、兄弟間に亀裂が入り始める。バンドの活動も、アフリカン・アメリカンのポピュラー音楽の主流がヒップホップに移っていったことで、1980年代ほどの勢いを継続出来なくなる(とはいえコンスタントに来日公演は行っていた)。
しかし、1990年代も後半になると、再びロジャーに追い風が吹き始める。サンプラーの普及により、1980年代のザップのレコードが若い世代の音楽製作の素材になり始めたのである。ところが、これからもう一花という1999年の4月、破局が訪れた。かつてザップのメンバーであったラリー・トラウトマンが金銭上のトラブルからロジャーをショットガンで射殺し、自らも自殺してしまったのである。リーダーを失ったザップは当然ながら崩壊。しかしながら、ロジャー亡き後テリーがロジャー譲りのトーク・ボックスをプレイしZAPP名義での通算6作目のZAPP VIをリリース。現在も精力的にライブを中心に活動。
Zapp, Roger - So Ruff So Tuff Live
この口から出ているチューブは、トーキングボックスというものなんだそうな。
オートチューンみたいな音ですね。
1980年代を通してザップはコンスタントにアルバムを発表し、一時はジェームス・ブラウンやPファンクの後継者はプリンスとロジャーであるとさえ目された。さらに1990年にはバンドで稼いだ資金をもとに建設会社を創業する。しかしこれがケチの付き始めであった。建設会社は多額の負債を抱えて倒産し、兄弟間に亀裂が入り始める。バンドの活動も、アフリカン・アメリカンのポピュラー音楽の主流がヒップホップに移っていったことで、1980年代ほどの勢いを継続出来なくなる(とはいえコンスタントに来日公演は行っていた)。
しかし、1990年代も後半になると、再びロジャーに追い風が吹き始める。サンプラーの普及により、1980年代のザップのレコードが若い世代の音楽製作の素材になり始めたのである。ところが、これからもう一花という1999年の4月、破局が訪れた。かつてザップのメンバーであったラリー・トラウトマンが金銭上のトラブルからロジャーをショットガンで射殺し、自らも自殺してしまったのである。リーダーを失ったザップは当然ながら崩壊。しかしながら、ロジャー亡き後テリーがロジャー譲りのトーク・ボックスをプレイしZAPP名義での通算6作目のZAPP VIをリリース。現在も精力的にライブを中心に活動。
Zapp, Roger - So Ruff So Tuff Live
この口から出ているチューブは、トーキングボックスというものなんだそうな。
オートチューンみたいな音ですね。
スライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly & The Family Stone)は、特に1967年から1975年にかけてサンフランシスコを本拠地として活動した、アメリカの人種性別混合ファンクロックバンド。アバコ・ドリーム(Abaco Dream)名義によるシングルも2枚ある。
スライ・ストーン(1944.3.15-) - ヴォーカル&キーボード&ハーモニカ。強烈なアフロヘアともみあげでサングラスをかけ、キーボードを弾き語る。
フレディ・ストーン(1946.6.5-) - ヴォーカル&ギター。スライの弟
ローズ・ストーン(1945.3.21-) - ヴォーカル&キーボード。スライの妹。ロージーとも名乗る
シンシア・ロビンソン(1946.1.12-) - ヴォーカル&トランペット。スライの高校時代の友人。後に、スライとの間にシルヴェットを授かる。
ラリー・グラハム(1946.8.14-) - ヴォーカル&ベース。シンシアの親戚。1972年脱退。
ラスティ・アレン(1953.3.13-) - ヴォーカル&ベース。1972年加入。
ジェリー・マルティーニ(1943.10.1-) - サックス
グレッグ・エリコ(1949.9.1-) - ドラム。1971年脱退。
アンディ・ニューマーク(1950.7.14-) - ドラム。1973年加入。
オリジナル・メンバーでは、イタリア系の白人であるマルティーニとエリコを除く5人が黒人。途中加入組は黒人(アレン)と白人(ニューマーク)が1人ずつ。1972年から、予備のサックス奏者としてパット・リッツォ(白人。イタリア系)が加わった。
スライのメドレー^^最後笑っちゃったよ!楽しそう~
スライ・ストーン(1944.3.15-) - ヴォーカル&キーボード&ハーモニカ。強烈なアフロヘアともみあげでサングラスをかけ、キーボードを弾き語る。
フレディ・ストーン(1946.6.5-) - ヴォーカル&ギター。スライの弟
ローズ・ストーン(1945.3.21-) - ヴォーカル&キーボード。スライの妹。ロージーとも名乗る
シンシア・ロビンソン(1946.1.12-) - ヴォーカル&トランペット。スライの高校時代の友人。後に、スライとの間にシルヴェットを授かる。
ラリー・グラハム(1946.8.14-) - ヴォーカル&ベース。シンシアの親戚。1972年脱退。
ラスティ・アレン(1953.3.13-) - ヴォーカル&ベース。1972年加入。
ジェリー・マルティーニ(1943.10.1-) - サックス
グレッグ・エリコ(1949.9.1-) - ドラム。1971年脱退。
アンディ・ニューマーク(1950.7.14-) - ドラム。1973年加入。
オリジナル・メンバーでは、イタリア系の白人であるマルティーニとエリコを除く5人が黒人。途中加入組は黒人(アレン)と白人(ニューマーク)が1人ずつ。1972年から、予備のサックス奏者としてパット・リッツォ(白人。イタリア系)が加わった。
スライのメドレー^^最後笑っちゃったよ!楽しそう~
ジェームス・ブラウン(James Joseph Brown, Jr., 1933年5月3日 - 2006年12月25日)は、アメリカ合衆国のソウルミュージックシンガー・音楽プロデューサー・エンターテイナー。通称JB。
ファンクの帝王と呼ばれ、 The Hardest Working Man in Show Business(ショウビジネス界一番の働き者)と称される。シャウトを用いた歌唱法が特徴である。彼の父はインディアン・アパッチ族で、母はアフリカン・アメリカンとアジア人の系統であり、彼は日系人及び日本人のクオーターである。「祖父の葬儀に出席したときに初めて知ってびっくりした」という。そのとき彼は、「お陰で母は手先が器用だよ」と微笑み、日本人のよい特性を賞賛する発言もしていた。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第10位。
ジェイムズ・ジョセフ・ブラウン・ジュニアとして、世界恐慌時のサウスカロライナ州バーンウェルに生まれる。このことは、本人が自伝などでも書いているが、他にも1928年、テネシー州プラスキ生まれという説がある。成人後に、ジェイムズ・ジョセフ・ブラウンへと改名している。一家は貧しく、ジョージア州オーガスタに移り住んだが、ブラウンは親類の家などで育てられた。幼少時は、綿花詰みの手伝いや下町での靴磨きを行って生計を助けた。子供時代から地元の「アマチュア・ナイト」で歌っては優勝をさらうほどの歌唱力を持っていた、とブラウンは回想している。
ブラウンとバードの妹サラは、1955年からゴスペル・グループ「ザ・ゴスペル・スターライターズ」として活動を始める。その後、結局ブラウンはバードのグループ「エイヴォンズ」に参加し、バードはグループをリズム・アンド・ブルースバンドとして活動していくことになる。バンドは、その名を「フェイマス・フレイムズ」と変え、オハイオ州シンシナティでシド・ネーサンのキング・レコードと契約を結ぶ。バンドのファースト・シングル「プリーズ・プリーズ・プリーズ Please, Please, Please」は、1956年にリリースされた。レコードには「ジェイムズ・ブラウンとフェイマス・フレイムズ James Brown with the Famous Flames」とのようにクレジットされ、同シングルはチャート5位を記録し、ミリオン・セラーとなった。しかしながら、その後はヒット曲に恵まれず、続く9枚のシングルが商業的に失敗した後、キング・レコードはバンドと契約解除を行おうとした。1958年の「トライ・ミー Try Me」がビルボード48位の小ヒットとなり、バンドは活動を継続させることができた。バンドの曲のほとんどはブラウンが作曲し、バードのバンドであったフレイムズはブラウンが実質的なリーダーへと変化、結局は後のソロ活動において、フレイムズがバックバンドとなっていった。
これらの初期の録音には「I'll Go Crazy」(1959)「Bewildered」(1960)といったゴスペルの影響を強く受けた曲や、リトル・リチャードやレイ・チャールズといった同時代のアーティストの影響を受けた作品が含まれていた。しかし、その歌唱スタイルは変化、後には「ファンク」と呼ばれるスタイルに発展していき、上述のPファンクはもちろん、プリンスなどに強い影響を与えた。
James Brown / Get Up(I Feel Like Being A)Sex Machine
起きろ
起きるんだ
この行為を続けるんだ
セックスマシーンのようにな
ちょっと待て
おまえの腕で揺すれ
おまえのやり方を使うんだ
この行為を続けるんだ
セックスマシーンのようにな
おまえは感じているんだろう
おまえがこの世に生まれてきたくらいに確かに
しっかりしろ
よーし、いいぞ
俺を興奮させてくれ
冷や汗をかくくらいにな
俺の好きなやり方が正しいやり方だ
俺には自分のやり方がある
奴のやり方なんか気にするな
おまえの尻を揺さぶるんだ
ファンクの帝王と呼ばれ、 The Hardest Working Man in Show Business(ショウビジネス界一番の働き者)と称される。シャウトを用いた歌唱法が特徴である。彼の父はインディアン・アパッチ族で、母はアフリカン・アメリカンとアジア人の系統であり、彼は日系人及び日本人のクオーターである。「祖父の葬儀に出席したときに初めて知ってびっくりした」という。そのとき彼は、「お陰で母は手先が器用だよ」と微笑み、日本人のよい特性を賞賛する発言もしていた。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第10位。
ジェイムズ・ジョセフ・ブラウン・ジュニアとして、世界恐慌時のサウスカロライナ州バーンウェルに生まれる。このことは、本人が自伝などでも書いているが、他にも1928年、テネシー州プラスキ生まれという説がある。成人後に、ジェイムズ・ジョセフ・ブラウンへと改名している。一家は貧しく、ジョージア州オーガスタに移り住んだが、ブラウンは親類の家などで育てられた。幼少時は、綿花詰みの手伝いや下町での靴磨きを行って生計を助けた。子供時代から地元の「アマチュア・ナイト」で歌っては優勝をさらうほどの歌唱力を持っていた、とブラウンは回想している。
ブラウンとバードの妹サラは、1955年からゴスペル・グループ「ザ・ゴスペル・スターライターズ」として活動を始める。その後、結局ブラウンはバードのグループ「エイヴォンズ」に参加し、バードはグループをリズム・アンド・ブルースバンドとして活動していくことになる。バンドは、その名を「フェイマス・フレイムズ」と変え、オハイオ州シンシナティでシド・ネーサンのキング・レコードと契約を結ぶ。バンドのファースト・シングル「プリーズ・プリーズ・プリーズ Please, Please, Please」は、1956年にリリースされた。レコードには「ジェイムズ・ブラウンとフェイマス・フレイムズ James Brown with the Famous Flames」とのようにクレジットされ、同シングルはチャート5位を記録し、ミリオン・セラーとなった。しかしながら、その後はヒット曲に恵まれず、続く9枚のシングルが商業的に失敗した後、キング・レコードはバンドと契約解除を行おうとした。1958年の「トライ・ミー Try Me」がビルボード48位の小ヒットとなり、バンドは活動を継続させることができた。バンドの曲のほとんどはブラウンが作曲し、バードのバンドであったフレイムズはブラウンが実質的なリーダーへと変化、結局は後のソロ活動において、フレイムズがバックバンドとなっていった。
これらの初期の録音には「I'll Go Crazy」(1959)「Bewildered」(1960)といったゴスペルの影響を強く受けた曲や、リトル・リチャードやレイ・チャールズといった同時代のアーティストの影響を受けた作品が含まれていた。しかし、その歌唱スタイルは変化、後には「ファンク」と呼ばれるスタイルに発展していき、上述のPファンクはもちろん、プリンスなどに強い影響を与えた。
James Brown / Get Up(I Feel Like Being A)Sex Machine
起きろ
起きるんだ
この行為を続けるんだ
セックスマシーンのようにな
ちょっと待て
おまえの腕で揺すれ
おまえのやり方を使うんだ
この行為を続けるんだ
セックスマシーンのようにな
おまえは感じているんだろう
おまえがこの世に生まれてきたくらいに確かに
しっかりしろ
よーし、いいぞ
俺を興奮させてくれ
冷や汗をかくくらいにな
俺の好きなやり方が正しいやり方だ
俺には自分のやり方がある
奴のやり方なんか気にするな
おまえの尻を揺さぶるんだ
ミーターズ(The Meters)はアメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズのR&Bバンド。ニューオーリンズ・ファンク・サウンドを生み出した第一人者的存在である。ミーターズの前身は、60年代の半ばにアートが結成したアート・ネヴィル&ザ・サウンズだった。1969年発表の「ソフィスティケイテッド・シシー(Sophisticated Cissy)」「ロッカパイパイ(Look-Ka Py Py)」は、ファンクの古典ともいわれている。ニューオリンズ・ファンクの創始者の一つとして、いまなお多くのミュージシャンに影響力をあたえている。
The Meters - Look-Ka Py Py, Jungle Man
The Meters - Cissy Strut
THE METERS - SOPHISTICATED CISSY
こちらは歌モノ
The Meters feat.Cyril Neville - Be my lady
The Meters - Look-Ka Py Py, Jungle Man
The Meters - Cissy Strut
THE METERS - SOPHISTICATED CISSY
こちらは歌モノ
The Meters feat.Cyril Neville - Be my lady
カテゴリー :
ブログ内検索 :
プロフィール :
HN:
eliblack
年齢:
42
性別:
女性
誕生日:
1982/04/26
自己紹介:
BLACK MUSICが大好物。JazzyHiphop、SOUL、FUNK、Blues,Jazz。
カレンダー :
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
最新記事 :
(03/03)
(03/03)
(03/02)
(02/07)
(02/03)
最新コメント :
リンク :
最新トラックバック :
アクセス解析 :